本日4月24日は、植物学者・牧野富太郎博士の生誕日。博士の膨大な標本と情熱に敬意を表する「マキノの日」でもありますね。
手元の写真フォルダを整理していると、3年前に牧野記念庭園 記念館を訪れた際の記録が残っていました。
建築や街歩きをテーマに活動している僕にとって、博士の「一木一草を疎かにしない」という緻密な観察眼は、都市を読み解く視点にも通じるものがあると感じています。数年前の写真を眺めていると、当時の自分が何に惹かれ、何を切り取ろうとしていたのか、今の視点と対話しているような不思議な感覚になります。
| 写真1:入り口のパネル |
牧野記念庭園 記念館で触れた、知の地層
| 写真2:展示室の全景 |
そこに待っていたのは、外の庭園とはまた違った、静謐な知の空間でした。
天井から壁、床に至るまで木材で統一された展示室は、まるで巨大な植物の内側にいるかのような温かみと、不思議な落ち着きに満ちています。窓から差し込む光が、木目を柔らかく浮かび上がらせ、博士が遺した膨大な資料と静かに対峙するための環境を作っていました。
僕の目を釘付けにしたのは、中央に鎮座する、博士の愛用品を収めた展示ケースです。
日本中を歩き回り、一木一草を採取するために使った道具たちが並ぶ中、ひときわ存在感を放っていたのが、使い込まれた茶色の「胴乱」でした。数え切れないほどの植物がこの中に収められ、博士の手によってこの地へと運ばれてきたのだと思うと、道具一つひとつが博士の執念にも近い情熱を語りかけてくるようでした。
| 写真3:大泉のパネル |
写真の中の博士は、ここ大泉の自宅の玄関先に立ち、穏やかな表情を浮かべています。関東大震災を経て、標本や書跡を火災から守るためにこの地を選んだという「永遠の住処」。かつてここが武蔵野の面影を残す、静かな雑木林であったことが伝わってきます。
特に僕の心を打ったのは、パネルの中央に記された博士の詠んだ歌でした。
「何時までも 生きて仕事にいそしまん また生まれ来ぬ 此の世なりせば」
93歳で病床につくまで、寝る間を惜しんで研究と執筆を続けたその姿。単なる学者を超えて、生命そのものを愛し抜いた一人の人間の輝きがそこにはありました。「ともに支えた家族」のコーナーにある写真からも、その膨大な研究が、日常の何気ない暮らしと絆に支えられていたことが伺えます。
| 写真4:書斎 |
一歩その前に立つと、思わず息を呑みます。そこには天井近くまでびっしりと積み上げられた書籍の山。かつて古本を扱っていた僕にとって、この「紙とインクが堆積した風景」は、どこか懐かしく、そして圧倒的な敬意を抱かずにはいられない光景です。
背表紙が剥げかかった洋書、和綴じの古い文献、そして必然の秩序を持って置かれたノートの束。それらすべてが博士の「知の武器」であり、ここは大泉の雑木林の中に現れた、いわば植物学の最前線基地だったのだと感じさせられます。
物語が重なる場所:3年前の「らんまん」と牧野庭園
| 写真5:ポスター |
神木隆之介さんが演じる「万太郎」の笑顔。あのドラマの中で描かれた、植物への無邪気で、かつ狂気的なまでの愛。その「物語」を楽しんでいた人たちが、ここ大泉の地に足を運び、博士が遺した「本物」の資料や書斎を目の当たりにする。その橋渡しを、このポスターが担っていたのだと思うと、少し胸が熱くなります。
僕にとっても、3年前のこの日は、単なる「庭園巡り」以上の意味を持っていました。劇中で描かれる情熱と、目の前にある圧倒的な知の集積。その二つが自分の中で重なり合い、世界の解像度が一段と上がったような、そんな特別な一日でした。
あれから3年が経ち、ドラマの熱狂は落ち着きましたが、今日「植物学の日」に改めて写真を見返すと、あの時感じた「好きを貫くことの凄み」が、色褪せることなく蘇ってきます。
なお、牧野記念庭園 記念館の建築については、都市建築WithMap|from archiclue.でとりあげていますので、よかったらあわせてどうぞ。 → 練馬区立・牧野記念庭園・記念館 _ 都市建築WithMap|from archiclue.
コメント
コメントを投稿