成城の崖線に息づく記憶と究極のこだわり―旧猪股邸と、とある理事長の「静寂」



今回は、ちょうど先週のブラタモリで世田谷区の成城を取り上げていたので、番組では紹介されていなかったですが、だいぶ前に訪れてよかった「旧猪股邸」のことでも取り上げておきたいと思います。

学校が作った街?成城の「始まりの謎」

小田急小田原線・成城学園前駅から北西に徒歩8分ほどのところの成城らしい住宅街が立ち並ぶエリアに今回取り上げる「旧猪股邸」はあります。

このあたりは、ブラタモリでも取り上げられていましたけど、「成城小学校 成城第二中学校 後援会地所部」という成城学園の保護者が作った、不動産の管理・販売・開発を行う組織が開発した珍しいエリアでもあるそうですね。
普通、こういう高級住宅街って、江戸時代の大名屋敷跡だったり、近代の財閥がドカンと開発した土地が多いんです。なのに、この街の真ん中にあるのは高級住宅街と成城の学園だけ。そして地名も駅名も、全部学校由来の名前ですね。
実は大正時代、この地に学校を移転させようとしたとき、資金が全く足りなかったらしく、そこで当時の学校や保護者たちがとんでもないウルトラCを思いついたというわけです。

「学校を作るために、周りの土地も一緒に買って分譲しちゃおう!」(^^)

そして、確保した土地は学園用に1万5,000坪、そしてなんと住宅用に2万5,000坪。不動産業者に頼らず、学園と保護者が一体となって自分たちで区画整理して分譲し、その売ったお金で成城学園をつくったんです。その中心的役割を担ったのが、最初に取り上げた後援会地所部というわけですね。

理想の学園都市の「エッジ」で交錯した二人

そんな「理想の学園都市」としてスタートした成城だからこそ、のちに多くの文化人や財界人がその雰囲気に吸い寄せられて集まってきました。
Memories and ultimate dedication that breathe life into the cliffs of Seijo—the former Inomata residence and the "silence" of a certain chairman.
写真1
ここに、昭和の建築家・吉田五十八(よしだいそはち)が建てた傑作があるんです。しかも施主は、戦後の「労働・労務」の近代化を引っ張ったガチガチの堅い研究所の理事長さんです。この組み合わせ、ちょっと面白そうだと思いませんか?

写真1は、成城のモダンな住宅が立ち並ぶエリアのなか、タイムトリップしたかのように佇む「旧猪股邸」の入口の様子です。
ここでちょっとニヤリとしてしまうのが、この二人の交錯した『場所』です。成城学園の生徒たちの元気な声が響く「理想の学園都市」の中心から、あえて少し離れた国分寺崖線のギリギリのエッジというところです。
日本の労働環境という、もっとも泥臭く、各人のエネルギーがバチバチにぶつかり合う場所のルール作りに奔走していた猪股氏にとって、必要だったのは並大抵の癒やしではなかったはずです。学園都市が持つ知性的な空気と、崖線が持つ太古からの圧倒的な自然の気配。その両方が溶け合うエッジの土地だったからこそ、吉田五十八の『壁が消えて庭と一体化する数寄屋』という究極の精神回復装置が機能した、そんな傑作を建てさせたのかもしれないと思うのは、誇張しすぎではないと思うのですよ。

日本の「働く」をデザインした男のオンとオフ

さて、門をくぐる前に、この邸宅の主である猪股猛(いのまた たけし)さんという人物について、ちょっと紐解いてみましょうかね。
労務行政研究所の初代理事長と聞くと、なんだか教科書に出てきそうな、ものすごくお堅いイメージが浮かびませんか? 実際、もの凄く硬派で、日本の歴史にとって重要な仕事をされた方なんです。

時は戦後。日本が高度経済成長へ向けて立ち上がろうとしていた時代です。
当時は、今のように整った労働環境はまだなく、激しい労使紛争が起き、労働法制も発展途上でした。
そんな混沌とした状況の中で、労務行政研究所は『労政時報』などの出版を通じ、企業と働く人の関係をより客観的で合理的に理解するための情報基盤を整えていきました。
猪股猛さんは、その研究所を率いる立場として、労務管理の近代化を支える“裏方の知的支柱”となった人物です。

いわば、現代の私たちが当たり前に恩恵を受けている日本の労務管理の近代化を、表舞台の陰で着実に押し進めた立役者。人間社会の最も泥臭くて、最もエネルギーがぶつかり合う「動的なセクター」のルール作りに、日々バチバチに向き合っていたわけですね。
そんな、激務をこなしていた猪股さん。昼間は都心のビル群で、日本の労働問題という大荒れの海と戦っていたわけです。そりゃあ、夕方になって仕事が終わったら、完全に脳内をスイッチオフにできる、極限の「静寂」が欲しくなりますよね。
だからこそ、彼はこの成城の崖線を選んだともいえそうです。子どもたちの理想の教育のために素人たちの手で作られた、落ち着いた学園都市の空気を通り抜け、太古からの武蔵野の自然が色濃く残る崖線のエッジに、究極の隠れ家(リセット装置)を求めたのかもしれません。



巨匠・吉田五十八が持てる技術を注いだ「プロフィール」

Memories and ultimate dedication that breathe life into the cliffs of Seijo—the former Inomata residence and the "silence" of a certain chairman.
写真2
エントランスの様子です。猪股氏の背景を知ると、このアプローチもちょっと違った風景に見えてきませんか。
Memories and ultimate dedication that breathe life into the cliffs of Seijo—the former Inomata residence and the "silence" of a certain chairman.
写真3
エントランスには、配置図もありました。
ちなみに、写真2の場所は、配置図(写真3)右側にある表門の入口あたりですね。

そこで建物に入る前に、この建物の概要についてさらりと触れておきます。
竣工: 1967(昭和42)年
設計:吉田五十八研究室(吉田五十八は昭和の数寄屋建築の巨匠)
施工: 水澤工務店、丸富工務店(茶室)
構造:木造(一部鉄筋コンクリート造)平屋建て
構成:ゆったりとした『主屋』と、庭の奥にひっそり佇む『茶室』
文化財指定:東京都選定歴史的建造物

敷地面積はなんと約570坪とのこと! 成城五丁目という一等地の、しかも国分寺崖線のエッジにこれだけの広さの土地を確保しているだけでも驚きですが、注目すべきは建物の建て方です。
平屋建ての主屋は、南側に広がる庭園をぐるりと囲むように「L字型」に配置されています。この庭園には、崖線ならではの豊かな湧水や地形を活かした苔、そして武蔵野の面影を残す雑木林が広がっていて、どこにいても緑の気配を感じられるようになっているんです。
設計した吉田五十八さんは、伝統的な数寄屋建築に、近代的なコンクリート構造や合理的な意匠をミックスさせた「近代数寄屋」の生みの親。そんな巨匠が、脂の乗り切った晩年に、猪股夫妻のために持てる技術を惜しみなく注ぎ込んで作ったのが、この邸宅なんです。

障子が消える!?「壁を消し去った」建築マジック

Memories and ultimate dedication that breathe life into the cliffs of Seijo—the former Inomata residence and the "silence" of a certain chairman.
写真4
まずは広間の様子です。広々としていますが、さらに庭園と一体化しているような空間も印象的でした。
Memories and ultimate dedication that breathe life into the cliffs of Seijo—the former Inomata residence and the "silence" of a certain chairman.
写真5
こちらは、広間と一体につくられた中庭ですね。
ここからわかることは、何と言ってもこの中庭や庭園に向かって広がる大開口の素晴らしさです。でも、ただ「窓が大きい」だけじゃないんですよ。
写真5でも見えていますけど、普通、引き戸は開けても端っこに何枚か重なって残るじゃないですか。ところが、ここではすべて壁の中にすっぽり収まる「引き込み」というウルトラC級の仕掛けを施しているんです。
さらに、写真4をあらためて見てもらうとわかりやすいですが、部屋を支えるはずの太い柱も、独自のディテールで壁の中に隠してしまっています。

つまり、「部屋を閉ざすための壁や柱を、デザインの力で徹底的に消し去ってしまった」わけです。 

 これによって何が起きるかというと、室内で座っているのに、目の前の瑞々しい苔、自然の雑木林と、自分が「地続き」で完全に一体化してしまう。部屋の中にいるはずなのに、武蔵野の森のなかにぽつんと座っているような、不思議な感覚に包まれます。
伝統的な数寄屋建築といえば、ちょっと薄暗くてお籠り感があるイメージですが、吉田五十八さんは鉄筋コンクリート(RC造)という近代の技術を隠し味に使うことで、この「無駄なものを削ぎ落とした、境界線のない大空間」を具現化しました。まさに、数寄屋の近代化ですね。
Memories and ultimate dedication that breathe life into the cliffs of Seijo—the former Inomata residence and the "silence" of a certain chairman.
写真6
ここで、はたと気づくわけです。
この「壁を消し去り、外の自然を内部に引き込む」という仕掛けこそが、成城という土地が元来持っていた武蔵野の自然の地霊(ゲニウス・ロキ)を、現代に呼び戻して増幅するための装置だったんじゃないか、と。

ただ庭園が綺麗だね、という話ではないんですよね。大正時代に「理想の環境で子どもを育てよう」と夢見て確保した成城の街と緑、そして国分寺崖線が太古から蓄えてきた水と土の気配。それらが、吉田五十八の建築というフィルターを通すことで、じわじわと室内にまで溢れ出してくる。
日本の労働の近代化を推し進めた猪股猛氏が、この部屋に座り、消え去った壁の向こうの緑を眺めながら、ゆっくりと深呼吸をする。そのとき、彼の張り詰めた脳内には、成城の地霊がそっと滑り込んで、最高の癒やしを与えていたのかもしれないですね。



夫妻の暮らしが編み上げた、現代に続く「記憶の層」

Memories and ultimate dedication that breathe life into the cliffs of Seijo—the former Inomata residence and the "silence" of a certain chairman.
写真7
吉田五十八さんが仕掛けた『壁が消えるマジック』にひとしきり感動したあと、和室の畳に腰を下ろして、ふぅと息を吐いてみます。
すると、さっきまでの建築的な驚きがすーっと引いていって、今度は別の温かい気配が部屋の中に満ちていることに気づくんです。そう、ここで何十年もの時間を重ねた、猪股猛さん・清子さんご夫妻の『暮らしの気配』です。
建築って、竣工した(完成した)瞬間が一番美しいと思われがちですよね。でも、実は完成した瞬間はまだ『空っぽの器』にすぎません。そこに人が住み、日々の呼吸を重ねることで、初めて土地の記憶が定着していくんですよね。

ご主人の猛さんが激務を終えてこの家に帰ってくる。縁側に座って、奥様の清子さんが点ててくれたお茶を飲みながら、
「今日はお庭のキジバトが賑やかだったよ」
「ほう、どれどれ……」
なんて、他愛のない会話を交わしていたのかもしれない。

あるいは、雨の日に引き込み障子を少しだけ開けて、苔に染み込む雨音を二人でじっと聴いていたのかもしれない。
Memories and ultimate dedication that breathe life into the cliffs of Seijo—the former Inomata residence and the "silence" of a certain chairman.
写真8
庭園の奥には茶室があります。
猪股氏は武家茶道「鎮信流茶道」を極めた茶人としても知られていて、渡り廊下でつながれたこの茶室でしばしば茶会を催していたとも。
Memories and ultimate dedication that breathe life into the cliffs of Seijo—the former Inomata residence and the "silence" of a certain chairman.
写真9
この庭園の雑木林や苔は、ただ観賞するためだけのものではなく、ご夫妻が日々歩き、手入れをし、季節の移ろいを五感で受け止めるための『対話の相手』だったわけです。
朝の光の差し込み方、夕暮れのグラデーション、冬枯れの梢の隙間から見える成城の空。ご夫妻がこの邸宅で過ごした何気ない日常のディテール、その記憶の層が、吉田五十八の近代数寄屋という極上のキャンバスにしっとりと染み込んでいく。

そうして、『成城の崖線という自然』『吉田五十八の建築』『猪股夫妻の穏やかな時間』の3つが完全に溶け合ったとき、この場所だけに流れる、優しく、どこか凛とした独自の土地の記憶がここに定着したのだと思います。
こうして一般公開された旧猪股邸を訪れて、理屈抜きに「あぁ、落ち着くなぁ」と感じる居心地の良さは、ご夫妻が遺してくれた暮らしの余白が今もこの空間に優しく響き続けているからなのかもしれないですね。

結び:都市の記憶を繋ぐ

いやはや、旧猪股邸、すっかり堪能してしまいましたね。

学校を作るために街ごと切り拓いた先人たちの情熱。日本の「働く」を支え、激務のあとに極上の静寂を求めた猪股夫妻の暮らし。そして、それらを包み込むように「壁を消し去った」吉田五十八の建築マジック。

ここには、昭和の知性と美意識が、国分寺崖線の濃い緑とともに奇跡のようにパッキングされていました。何より贅沢なのは、現在は世田谷区の財産として一般公開され、いつでもそれらに触れられるということ。

今の東京は、どこを歩いても目まぐるしく景色が変わり、古い建物は新しい四角いビルへと姿を変えていきます。まるで、街そのものが過去を忘れていくかのように。

そんな変化の速すぎる都市において、旧猪股邸のような場所は「都市の迷子」にならないための大切な道標なのだと思えました。ここに来れば、この土地がかつてどんな理想を抱き、どんな人々がここで呼吸をしていたのかという、確かな土地の記憶に巡り合えるからです。

地図

旧猪股邸/ 東京都世田谷区成城5  

→ 詳細を「まちなみ視点 Map(地図)」で見る 

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